「万葉集」の中に大友家持の『石麻呂に、我れ物申す、夏痩せに良しといふものそ、鰻捕り喫め(あまり痩せているので夏痩せに良いと言われるうなぎを食べなさい)』という歌があり、うなぎは古くから栄養食品として用いられてきました。
当時は1匹丸ごと塩焼きにして食べるのが一般的で、他のうなぎ料理には「まぶし重」「う・雑炊」がありました。
「まぶし重」とは、器にご飯、うなぎ、ご飯と交互に重ね、1番上にきざみ三つ葉をのせたものでした。
食べるときには掘って食べていたようですが、これは香りも楽しむ食べ方であったようです。
「う・雑炊」はうなぎをぶつ切りにし、骨を抜き、お米を洗って土鍋に入れ、ダシ汁をはり、うなぎをのせ、火をかけ、煮て、最後にとき卵をかけるといったものでした。
うなぎが開かれるようになったのは江戸中期に入ってからで、腹開きにして蒸さないで直火焼きをした関西風と、背開きにして蒸して焼く関東風が生まれました。
蒲焼きはみりんやしょう油といった調味料が開発されてから生まれた調理法です。
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